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始まりは両親が買ってくれた黒板から

ドンズーハノイ日本語センターのLam Thi Sang(サン)校長

 

サン先生は高校2年生の時にある先輩から日本留学の話を聞いたことをきっかけに日本とドンズー日本語学校に興味を持ち、その学校での日本語学習を経て日本へ留学されました。独特な日本語学習法、留学時の話、ドンズーハノイ日本語センターを設立された話などを聞きました。

 

 

自立した生活をする先輩に憧れて

―日本語の勉強を始めたきっかけは何ですか?

「高校2年の時、日本に留学している先輩が私のクラスに遊びに来て、日本の大学での勉強、日本の生活、アルバイトのことなど話してくれました。ホーチミンにあるドンズー日本語学校で勉強して、その後、日本へ留学したそうです。ベトナムの大学生はほとんど親に学費を出してもらって勉強をしています。でも、その先輩は奨学金をもらったり、アルバイトをしたりして、自分で生活費を得て、しかも外国で勉強をしていました。そんな先輩の自立した姿を素晴らしいと思いました。そして、日本についても興味を持ち始め、日本に留学したいという夢を持つようになりました。それで高校を卒業すると、ホーチミンへ行ってドンズー日本語学校の留学生コースで日本語の勉強を始めたのです。半年学んだ時に静岡大学のNIFEEという留学プログラムに合格することができました。その後も日本語の勉強を半年続けてから、日本へ行き、2011年に静岡大学工学部に入学しました。」NIFEEはNational InterFacing Engineers Educationの略語で科学技術を日本語・日本文化と共に学べる静岡大学工学部の留学生向けのプログラムです。現在はABP(Asia Bridge Program)となり、静岡県内の企業と自治体が静岡大学と連携して、ベトナムなどのアジアからの優秀な留学生の育成によって、静岡県とその産業のグローバル化に貢献することを目指すプログラムとなっています。

 

静岡大学工学部への留学に至るまで

―理系の勉強をされていたんすか?

「私はタインホア省の出身でラムソン専門高校の化学専攻でした。工学部の試験は日本語、数学、物理、化学、英語でしたので、そのプログラムを受けることができました。日本語はドンズーの勉強方法のおかげです。半年の勉強だけですから、会話はもちろんあまりできませんでしたが、数学や物理、化学の問題は何とか理解でき、高校の知識で解けました。選択問題で数字で答える問題がほとんどですから。」

―ドンズーの勉強方法とはどんな方法ですか?

「ドンズーの留学生コースは大学に入ることが目標ですので、本が読めるようになることを重視した方法です。そのために大切なのが漢字です。ドンズーでは、一日に100の漢字を覚えてしまいます。初めは日本語の読み方は勉強しません。ベトナム語での読みである漢越音で覚えます。漢越音で読めればすぐに意味が分かります。意味だけが分かればよいですから、一日に100字覚えられます。1か月で2000の漢字が終わります。私は、毎朝、本を手に持って、100字、200字の漢字を漢越音で読んで覚え、それを毎日毎日繰り返しました。漢字をたくさん覚えると、勉強していない漢字の意味も推測できるようになります。例えば、学生、生活、活動といった関連語の意味が分かるようになります。そして、文の意味も推測できるようになると、本を読んで理解できるようになります。」

ドンズー日本語学校はグエン・ドク・ホエ校長が1991年にホーチミンに開校した学校です。「ドンズー」は「東遊(ドンズー)運動」のことで「東に学ぶ」、すなわち「日本に学ぶ」を意味しています。20世紀初めに日本への留学で人材育成を行ったこの運動の意思を引き継いでこの学校が設立されたそうです。

 

純鉄の切削に関する研究

―静岡大学ではどんな勉強をしましたか?

「10月に入学して、半年は日本語と高校の知識の復習をして、4月から学部のクラスに入りました。それから3年、日本人の学生と同じように勉強しましたが、3年目の後半の半年は授業を受けて単位を取りながら研究室にも入り、研究を始めました。そして、大学最後の半年は卒業論文の研究に集中しました。初めは講義を聞いても日本語があまり分かりませんから、苦労しました。教科書をドンズーの方法で読んで予習復習をしました。そのうちいつの間にか聞いて分かるようになっていました。卒業論文のテーマは純鉄でした。」「純鉄って何ですか?」と聞いてみると、「99.99%ぐらいが鉄の成分である鉄のことですね。切削するときの問題、切削工具の耐久性、切りくずなどの研究をします。純鉄は自動車のアクチュエータという部品に使われていますよ。」とのこと。アクチュエータとは「エネルギーを機械的な動きに変換し、機器を動かす駆動装置」なのだそうです。「面白い研究ですか?」と聞くと、「面白いというか、指導教官が企業から依頼された研究で、私はあまり解決できなかったですが、解決できたら実際に役に立つだろうなあと思っていました。」

 

居酒屋のお姉さんと仲良しに

―日本の生活はどうでしたか?

「楽しかったです。最初の1年は寮で、2年目からアパートでした。学費は4年間免除で、最初の半年はJASSOの奨学金をもらい、その後も他の奨学金がもらえたので、経済的な苦労はありませんでした。それでも日本に着いて半年後から、2年半ぐらいはアルバイトをしました。私は料理が大好きなので、居酒屋のキッチンやラーメン屋のホールで働きました。居酒屋ではサラダを担当していましたが、他の料理も手伝っていました。それで、料理担当のお姉さんと仲良くなって、いろいろ教えてもらいました。お姉さんは、たぶん4つぐらい年上の人でしたが、休みには一緒にショッピングに出かけたり、ベトナム料理と日本料理を作ったり、いろいろな所に遊びに出かけたりもしました。」

 

 

箱根で先輩と初デート!

―日本では旅行もされたんですね。

「静岡県は気候のいい所でした。富士山の周りの湖には何度もキャンプに行きました。旅行では、名古屋、京都、大阪、箱根、盛岡など結構いろいろ行きました。」「特に印象に残っている所はどこですか?」と聞くとすぐに「箱根です。」と。そして、「高校の先輩、ドンズー日本語学校の先輩で、高校2年の時に日本のことを話してくれた先輩と箱根で初めてデートをしたんです。それまで連絡を取ってなかったんですが、先輩は東京の大学院に通っていて、私が日本に行って2年目の時から付き合い始めました。箱根で温泉などに行ったのは良い思い出です。今、その先輩は私の夫です。」忘れられない素敵な思い出ですね。

 

両親が買ってくれた黒板

―静岡大学を卒業されて、帰国されたんですね。それから何をされたんですか?

「私は教えることが好きだったので、小学校1年の時から近所の子にアルファベットとか足し算、引き算を教えていました。そしたら、両親が黒板を買ってくれたのです。それで将来は教師になりたいと思っていました。でも、師範学校を出ても就職は難しいということで、両親に反対され、エンジニアになるために工学部へ進学しました。卒業後に日系企業への就職も少し考えましたが、やっぱり教師になりたいなと思っていました。それで、帰国してすぐにちょうど求人があったハノイの私立大学の日本語教師になりました。」

 

最後までやり遂げることに意味がある

―日本の大学の工学部を卒業したのにエンジニアにならなかったのは、もったいないと思うのですが、そうではないですか?

「よくそのように言われます。でも、元々エンジニアになろうとあまり考えていませんでしたから、もったいないとは思っていません。大学で勉強したことはエンジニアにならなくても価値のあることだと思います。大学で勉強している時に、自分に向いてないと思って途中でやめる人もいました。でも、私は何とか最後までやりました。それが意味のあることだと思います。好きじゃないことでも決めたことは最後までやり遂げる。今、仕事をしていても時々好きじゃないことがあるじゃないですか。好きじゃないことがあっても解決していく、そこに意味があると思っています。」

 

ドンズーハノイ日本語センターの設立

―今、ドンズーハノイ日本語センターの校長をされているというのは、この学校を設立されたということですか?

「はい。私立大学で1年ほど教えていましたが、私はドンズーで学び、その良さをよく知っていましたから、その大学での教え方に不満がありました。それで自分で学校を作りたいと思うようになったのです。そして、ホーチミンのドンズー日本語学校の校長や先生方と相談をし、2018年にドンズーハノイ日本語センターを設立しました。私は教師として教材や教え方の改善に取り組みながら、経営者として学校のマーケティング、広報、企業への営業など何でもやっています。現在は、高校生、大学生、社会人向けの普通コース、留学生コース、そして、企業の委託を受けた会社クラスを実施しています。」

 

ドンズーを受け継ぎ、改善していく

―今後の計画がありますか?

「今は以前と違ってコミュニケーション能力の育成も重視しています。ですから、会話や聴解もできるように授業を改善しています。国際交流基金の『いろどり』『まるごと』の教科書も試験的に導入しています。これで学生のコミュニケーション能力が伸びるようであれば、ホーチミンの本校にも紹介したいと思っています。ドンズーの教育方法を受け継ぎながら新しいことに挑戦しています。それと、私には今、小学校1年の娘がいます。娘にもドンズーの留学生コースで学ばせて日本へ留学させたいと思っていました。でも、私が両親の言うことを聞かずに教師になったように、娘も私の思う通りにはならないと思います。娘が好きなことを見つければ、それを応援したいと思います。」

 

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本稿はインタビュー内容を編集したものです。インタビューは日本語で行いました。写真はいずれもご本人からの提供です。参考にした関連サイトは以下の通りです。

ABP(Asia Bridge Program)https://www.abp.icsu.shizuoka.ac.jp/eng/
ドンズーハノイ日本語センター https://www.dongduhanoi.edu.vn/
ドンズー日本語学校 http://www.dongdu.edu.vn/

発行/国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
発行日/2022年2月28日
監修/安藤敏毅(同センター所長)
執筆・編集/片桐準二(同センター日本語上級専門家)
編集/山田清美(同センターアジアセンター調整員)
   久保亜樹(同センター日本語指導助手

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