VJC投資株式会社のNGUYỄN THỊ TÌNH(ティン)さん
今回は人材紹介の仕事をされているティンさんにインタビューしました。日本との出会いから実習生として日本へ行った話、そして、今の仕事についてなど様々なお話を伺いました。
日本との出会いは歴史から
-日本に興味を持ったのはいつごろからですか?
「私は中学校の時に歴史を専攻しました。歴史は人気のない科目でしたが、私はみんなが嫌いなことや難しいことを体験したい、挑戦したい、という気持ちで歴史を勉強しました。ベトナムの歴史も世界の歴史も勉強しましたが、勉強すればするほど面白くなりました。特に日本の歴史はすごく面白かったです。どうして日本は1945年以降に急速に経済を発展させることができたのか、日本人のやり方、日本人の精神にとても興味を持ちました。」アニメや漫画ではないのですね、どうやって勉強しましたか、と聞くと「中学校では専門を一つ選んで、それを集中して勉強します。学校の普通の教科書だけでなく、いろいろな本を読んで深く理解するようにしました。そして、ハノイ市では優秀者を選ぶ試験がありましたので、私は歴史の試験を2回受けました。」何か賞を獲りましたか、と聞くと「1回は3位になりました。」とのこと。
大学を休学して日本へ
-日本語の勉強はいつから始めたんですか?
「大学に入った時からです。日本語専攻の1年生から勉強しました。私の家の近くには工業団地があったので、日本語を勉強すれば卒業後にそうしたところにある会社に就職しやすいと思いました。英語はたくさんの人が勉強していますから、日本語の方が仕事を探しやすいと思いました。」では、大学で4年間日本語を勉強したんですね、と話を続けようとすると「いいえ、大学は1年生が終わると休学し、実習生として日本に行き、3年間働いて来ました。実は学費が大変だったのです。」そうでしたか。それでは実習生送り出し機関に入ったんですね。「いいえ、私はまず家の近くの工業団地にある会社に入りました。その会社は日本の本社に技能実習生としてベトナム人社員を送っていました。」日本の会社は広島市にある広島アルミニウム工業で、そのベトナム現地法人がハノイ市タンロン工業団地にあるハル・ベトナムという会社とのことです。
日本の生活は楽しかった!
-まずベトナムの会社に入って、それから日本へ行って働いたんですね?
「はい、私はその会社に入って、半日日本語を勉強して、半日実習生として働きました。日本語はもう大学で勉強していたので、すごく楽で、他の人に教えていました。そして、半年後に本社のある広島に行きました。仕事は8時から5時までで、時々残業がありましたが、土日はほとんど休みでした。担当したのは、車の部品の外観検査です。鋳造された部品がラインで加工され、そこでできた製品を検査します。」
-日本の生活はどうでしたか?
「ベトナム人の実習生は100人ぐらいいました。他にフィリピン人や中国人もいました。みんな会社の借り上げたアパートやマンションに住んでいました。そこに生活指導員がいました。普通に同じ会社で働く日本人ですが、私たちの面倒を見てくれる人で、『お母さん』と呼んでいました。そのお母さんや会社の人たちとよく一緒に料理をしてパーティーをしました。私たちは日本人が好きなベトナムの揚げ春巻きをよく作りましたよ。会社では運動会やサッカー大会があり、社員旅行も年に1回ありました。それ以外にも休みの日には会社の日本人と広島の有名な所へよく出かけました。一番印象に残っているのは宮島で、3回行きました。秋の紅葉が一番良かったですね。日本の生活は楽しいことばかりでした。」
-辛いことは全然なかったんですか?
「一度だけ足が痛くてお母さんに病院に連れて行ってもらったことがありました。そのころ運動のために仕事のあとに走っていたのですが、走りす
ぎたのが原因でした(笑)。あとは、一度冬に大雪がありました。いつもアパートから会社まで自転車で通っていましたが、その時は自転車に乗れないので、山の方にある会社まで1時間以上歩いて行ったことがありました。大変だったのはそのくらいで、日本は空気がきれいですから、3年間病気にもかからなかったです。」
日本語で学費を稼いで、大学を卒業
-ベトナムに戻って大学に復学されたんですか?
「はい。大学の2年生に戻りました。実は実習に行った時に、『日本での目標は何ですか』と生活指導員に聞かれて、『日本語能力試験のN2を取ったらすぐベトナムに帰ります』と答えていたんですが、本当に3年目の7月にN3を受けて合格し、12月にN2を受けて合格しました。ですから、大学の日本語の勉強はとてもやさしかったです。通訳と翻訳の授業だけしっかり勉強しました。」
―実習で貯めたお金を学費に充てたんですか?
「大学に行きながら日本語を教えるアルバイトをしました。学費はそのアルバイトのお金で十分でした。実習で貯めたお金は、自分のバイクを買って、残りは全部両親に渡しました。家の修繕費に使ってもらいました。」ティンさんは技能実習の間に日本語をしっかり勉強したことで、日本語で稼ぐことができるようになっていたんですね。
卒業後すぐ日本で就職して転勤族に!?
-大学を卒業してからはどうしましたか?
「大学3年生の時に就職試験を受けて日本の人材紹介会社から内定をもらっていました。卒業するとすぐに日本へ行き、岡山県にある本社で働きました。仕事は通訳、翻訳、そして、日本で暮らすベトナム人技能実習生や技術者、派遣された社員の生活支援でした。彼らが日本の会社に入社した時や問題が起きた時に出張して支援します。岡山から熊本、兵庫、大阪、奈良、京都などへ行きました。そして、6か月後に滋賀県に転勤し、その6か月後に香川県に転勤しました。」
-出張や転勤の多い仕事ですね、香川県の後はどうしましたか?
「香川県では3か月働きましたが、そこで退職しました。」えっ、次々と目まぐるしく展開する人生ですね、どうしてですかと聞くと「結婚するために帰国しました。」おめでたいお話でよかったです。実は大学に通っている時に知り合った人と日本に行く前に婚約をしていたそうです。その婚約者も日本へ行く予定でしたが、会社の問題で日本に行けなくなり、離れ離れになってしまったので、退職を決意したそうです。しかも勤めていた日本の会社からベトナムにある関連会社を紹介され、帰国後すぐに再就職されたそうです。それが今勤務されているVJC投資株式会社です。その会社のホームページによると、人材紹介、実習生・技術者派遣等を行う会社で、グループ会社には実習生送り出し機関や日本語学校があります。
人材紹介は挑戦する機会が多い仕事
―今の会社ではどんな仕事をしていますか?
「私は日本向けの市場開発部にいます。実習生や特定技能人材を日本の会社に紹介します。そして、面接手配、契約手続き、ビザの書類の準備などをして日本への送り出しを支援します。日本で仕事をしていた時は同じ支援でも日本人と一緒に行動していましたが、ここでは私が直接お客さん、つまり日本の会社とやり取りをします。ですから、実習生や特定技能の制度についてしっかり勉強していなければなりません。制度は変わることも多いですし、毎日毎日最新情報が入り、それを知らないと自分の知識が遅れてしまいます。この仕事では知識が大切で、それが基礎になっています。そうして自分の能力がアップしていくので、面白い仕事です。」
-それはどんなふうに面白いですか?
「人によって対応の仕方が違います。みな同じやり方ではだめですね。その人と話しながら、対応の仕方を考えていきます。状況によっても対応の仕方が違いますから、空気をよく読まないとうまくいかないです。人材紹介ではトラブルが多いです。面接する前に辞退する人や内定をもらったのに辞退する人もいます。こうした人たちを説得するのも仕事です。辞退者が出るとお客さんからの信用を失いますので、他の人にも影響が出ます。日本で働き始めてからすぐに退職したいとか転職したいといった人もいます。最近の特定技能ビザの問題ですね。ビザ取り消しの場合もあるので、日本の入国管理局の人と電話で話しながら対応することもあります。他にも、日本滞在中の人の問題の場合には、日本の病院や市役所、時には年金事務所の人とも直接ベトナムから電話をかけて話すことがあります。」
―そこまで対応するのが、人材紹介なんですね。
「私もこの仕事をするまでは、ただ人を紹介するのだと思っていました。でも、実際の『人材紹介』にはこんなに多くの仕事がありました。制度や法律についての知識が必要で、自分で調べなければいけないことも多いです。その知識を使って、様々な人とやり取りをしながら、仕事を進めます。すごく挑戦する機会が多い仕事だと思います。」
夢は図書館を開くこと
―将来の希望や夢がありますか?
「今コロナで日本に行けないのですが、収まったら日本に出張して、多くのお客さんと取引できるように頑張りたいです。そして、会社にもっと大きくなってほしいですね。でも、将来の夢はドリンクコーナーと花屋がある図書館を作ることです。私は本も花も好きです。静かに何か飲みながら本を読むことができる場所を作りたいです。」中学の頃に歴史が好きだったというティンさんは本好きだったんですね。仕事でも多くの資料を読みこなしているのでしょう。これからもトラブルを乗り越えて「人材紹介」で活躍して頂きたいです。
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本稿はインタビュー内容を編集したものです。インタビューはすべて日本語で行いました。以下のサイトも参考にしています。
VJC投資株式会社 https://vjcgroup.vn/
発行/国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
発行日/2021年5月20日
監修/安藤敏毅(同センター所長)
執筆・編集/片桐準二(同センター日本語上級専門家)
編集/山田清美(同センターアジアセンター調整員)
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